ドゥバール神父様の叙階60周年を祝して

  

初代主任司祭 ジョゼフ・ドバール神父様(献堂された初代御聖堂の前で)

初代主任司祭 ジョゼフ・ドバール神父様(献堂された初代御聖堂の前で)

 


ジョゼフ・ドゥバール神父様の司祭叙階60周年を祝って

  

 司祭叙階60周年ダイヤモンド祝いを迎えられ本当におめでとうございます。心からお慶び申し上げます。二俣川教会の信徒たちは皆、創立に携われた神父様の慶事にあたって、お祝いとともに感謝の気持ちを新たにしています。小教区にとどまらず教区としても感謝の念に絶えません。わたくし自身も教区を代表し、祝辞とともに改めて感謝の意を表したいと思います。

 残された記録によりますと、神父様が創設にご尽力くださった二俣川教会は、東京オリンピック開催の翌年1965年の3月1日に、当時の横浜教区長であった荒井勝三郎司教様によって献堂されています。オリンピック開催は、人々をして「もはや戦後ではない」と言わしめた大きな節目にあたっていましたが、一方、カトリック教会においても第二バチカン公会議閉幕の年に当たっており、歴史的な一大転換期を迎えた時代でありました。このような変革の時代にあって神父様は司牧として、すばらし舵取りをしてくださったと確信しております。

 「献堂式のときには信者の数は60人ほどでしたが、一年足らずのうちにはもう300人になりました」と神父様自ら書き残されています。

 2009年の統計を見ますと二俣川教会の在籍信徒数は2151人を数えています。横浜市内ではカテドラルの山手教会に次ぐ規模となっています。神父様がまかれた種は、立派な大木に育ち、豊かな実を結んでいます。公会議の出席後、荒井司教様は神父様のご実家に立ち寄られ、教会創設のために財政的にもご協力くださったご両親に対し、感謝の意を表されたと伺っております。今はみ国にいらっしゃるご家族皆様方のために感謝をもって永遠の安息をお祈りを申し上げたいと思います。

 日本を愛しておられる神父様は、帰国後も、パリやリヨンにおいて日本人の司牧にあたられるなど、日仏友好のためにご尽力くださいました。司祭叙階60周年のダイヤモンド祝いにあたり神父様のうえに神様の豊かな恵みがありますよう使徒的祝福をお送りいたします。

                                 カトリック横浜司教区教区長 司教 梅村昌弘

 

CJA38


 

上記は、梅村司教様から頂いたお祝いのメッセージです。 また以下はドゥバール神父様とゆかりの深い方から頂いたお言葉です。

 

ドゥバール神父様の叙階60年を祝して

 

  今日、皆様と共にこの教会を創られたドゥバール神父様の、叙階60年の記念ミサを捧げることを慶びとするものです。私は二俣川南三地区の笠原です。ドゥバール神父様について少し説明させて頂きます。

バチカン公会議で、当時の横浜教区・荒井司教様とフランス・リヨン教区のアンセル司教様が親しくなられ荒井司教様が日本での司牧の協力をお願いしたところアンセル司教様が快諾され、三名の司祭が派遣されました。その内のお一人がドゥバール神父様です。

 日本語の勉強をしながら、末吉町教会、浅田教会、保土ヶ谷教会の助任をされました。保土ヶ谷教会着任の際、「相鉄線には、駅はたくさんあるのに教会はありません。教会を建てるには、たくさんのお金が必要ですが私は建てたいと思います」とお話になり、フランスに帰国し、お父様の広大な土地などを売り、お金の工面をして頂いただけでなく大変な苦労をして、私たちためにこの教会を創って下さいました。

 この教会を『二十六聖人』に捧げられ、ご自身も日本人になりたいと、「堂春 与世夫」の名刺を作り、ニコニコしながら渡していらっしゃいました。帰国されてからはリヨンに「日本人センター」を創設し日本人の世話や日本の紹介に貢献し、その功労が認められ日本の勲章を授与されました。 神父様は85歳と高齢になられ、教区の神父様方とご一緒に生活され、叙階60年を迎えられました。神父様に電話をしますと、何時も最後に「私の心は二俣川教会にあります」とおっしゃいます。

 私は想います。   「ここに教会があってよかった」
                               40年前も、今も、そして、これからも・・・。

皆さま、この教会を創って下さったドゥバール神父様に感謝のミサを捧げましょう。この祝賀行事ができたのはジャック神父様のご高配の賜物です

                                                                                                                                                  ミカエル K.K.

 

 

初代の主任司祭    ジョゼフ・ドゥバール神父さんのこと

 

ドゥバール神父さんはプラド―会に所属する司祭です。

《プラド―会とは》


1860年12月10日アントアンヌ・シュブリェ神父が創設しました。シュブリェ師は、前の教皇ヨハネ・パウロ二世から、列福されました。

貧しい人々と共にいて、貧しい人々に仕え、福音を告げることを第一の使命としています。児童労働が行われていた時代、たくさんの貧しい児童の保護と教育の施設を作りました。シュブリェ師の葬儀には、数千人が参列したと地方紙に報道されています。会の使命に基いて、会員には、福音を徹底的に学ぶ訓練と養成が行われます。

プラド―姉妹会があり「シスター」たちがフランス、スペイン、チリ、韓国、コロンビア、マダガスカル、インドで活躍しています。1959年には女性信徒プラド―会を創設しました。現在60人の会員がフランス、スペイン、チリ、韓国、メキシコ、レバノンで活躍しています。

現在は、日本では川崎浅田町の教会でエドワード・ブジョストフスキー神父さんだけになっています。二俣川の二代目の主任司祭シャルル・ルベール師もプラド―会です。

オートバイで走り廻って活動しておられたジョゼフ・ドゥバール神父さんはお体を壊されてフランスに帰国されてからは、フランスのリヨンで、国立統計研究所リヨン支部で、労働司祭として働かれ、日本文化日本語センターを設立されました。NHK出身で当時のパリの日本館初代館長をしておられた磯村尚徳氏もセンターを訪れて称賛されました。1960年代後半には、日本でも「改革」を求めて、「赤ヘル」や「黒ヘル」の「全共闘」などが学校を占拠したり、機動隊と衝突したりしていました。

フランスでも大変でした。そのころ「労働司祭」も、或いは共産党や過激派と共同で騒乱に参加したり、女性問題を起こしたりしてバチカンやフランス司教団が禁止や除名をしました。しかし、働く人の中で生活するプラド―会は全く問題がなく、活動を続けました。

                                                               使徒ヨハネ H.I